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このストーリーは、bbs にて、のりぞう 氏より投稿していただいた作品です。 この作品の著作権は のりぞう 氏にあります。



■ バトン部とバレー部 ■

私の通っていた高校には、しごきの厳しい二大部活というものが存在しました。

私の年子の姉は、長身と運動神経の良さを買われてバレー部に。姉と同様に背の高い私は、背丈の高い女子生徒が演技をしているだけでも注目を浴びるという理由で、半ば強制的に入部させられたバトン部に所属していました。

私たち姉妹が所属していたバレー部とバトン部こそが、しごきの厳しい二大部活なのです。このバレー部とバトン部ですが、色々な面で対照的なのですが、それでいてよく似通った部分がありました。

たとえば、髪型です。

私たちバトン部では、女性らしさを強調するために、ロングヘアーが推奨されていますが、姉のバレー部では、機能面を重視して、ショートヘアーを強制されていたのです。

姉は部活の方針に従って、耳の上の辺りがかろうじて隠れる程度のツーブロックのヘアスタイルをしていますが、ベリーショートやスポーツ刈りをしている部員もいました。

姉もそうですが、ショートカットに体格の良いバレー部員たちを見ると、女子と言うよりも男子そのものです。現に、バレー部員たちはコーチから女子である事を否定するように教え込まれていたのです。

「コートの中では女を捨てろ」これが、コーチの教えだそうです。

一方、私たちバトン部は、「演技をする時は、女性らしい華麗で優雅な動きを心掛けなさい」と、常々顧問の先生から言われていました。



■ 全裸練習1 ■

私たちバトン部では、定期的に全裸で練習をさせられていました。

これは、「何も身に着けていない裸こそ、最も演技に適した衣装である」と言う、顧問の持論から定期的に部員全員が丸裸になって練習をさせられていました。

顧問が言うには、「十代の裸こそが神が与えた最も美しい芸術品」だそうで、顧問が私たちと同じ年代のころも、今の私たち同様に全裸で練習をさせられていたそうです。

ただ、丸裸で練習をさせられるのは、普段であれば着衣に隠れて見ることの出来ない全身の筋肉の動きを見たり、本番で緊張して変に力んだりしないように、メンタル面の強化の意味も込められているのです。

とは言ったものの、理由はともあれ、全裸練習に慣れるものではありません。裸で演技をしていれば、当然ながら人に見られたくない部分が丸見えになる事もあります。

おっぱいを見られるのはまだ我慢できますが、脚を高く上げた時に丸見えになるアソコの部分が人目に付くのだけはどうしても我慢が出来ず、恥じらいを感じてしまいます。

私たちが恥ずかしがっていると、

「貴女達を裸にするのは、いかなる状況においても演技に集中できるための特訓です。自分たちが裸でいる事を忘れなさい。だからと言って、恥じらいの気持ちは持ち続けなさい。

貴女達が恥じらいを感じながらもダイナミックな動きをするからこそ、貴女達の一生懸命さが観客たちに伝わって、彼らを感動させる事が出来るのです。恥じらいながらも躍動的な演技をしている貴女達の姿こそが、少女らしい初々しさや可憐さや健気さが観客たちを魅了させるのです。その事をよく肝に銘じて練習しなさい」

と、顧問の先生からよく注意を受けたものでした。

姉が所属しているバレー部にも全裸練習をさせられていました。

全裸練習を行う大まかな理由は私たちバトン部と同じで、筋肉の動きを調べたり、メンタル面の強化を図ったりしての事らしいけれど、姉が言うには、この全裸練習の時に少しでも恥じらいを感じると、

「裸だからと言って恥ずかしがるな。大舞台に立っても平常心を保てるようにお前たちを裸にしているんだ。恥ずかしがる暇があったら一つでも多くボールを拾え。

言っておくが、お前らのような可愛くもない女どもが恥じらいを感じていても気持ち悪いだけだ。観客たちはお前らの尻を追いかけに来ているんじゃない、お前らの全力プレイを見に来ているんだ。

一生懸命ボールを追いかけているお前たちの姿こそが観客たちに感動を与えるんだ。いいか、その事をよく肝に銘じて練習しろよ」

と、コーチに見咎められていたそうです。

同じ裸で練習しているのに、バトン部とバレー部とでは、捉えられ方が全く違うのです。



■ ブルマ ■

他校のバトン部では、練習の時はTシャツとスパッツ姿で練習していますが、私たちのバトン部では、スパッツではなくブルマを穿いて練習していました。

なぜ、スパッツではなくブルマかと言えば、スパッツとは違いブルマを穿けば太ももが丸出しになるからです。

いくら伸縮性の良いスパッツとはいえ、太ももに布地が貼り付いていれば少なからず脚の動きに影響を与えます。それに比べて太ももが丸出しになるブルマであれば、太ももが布地の束縛から解放されている分、股関節が動かしやすいのです。

それに、ブルマであれば、脚の付け根から指の先まで、下半身の動きが丸見えになります。演技と言うのはとかくバトンの動きに注目されやすいですが、演技全体を支えているのは下半身の動きです。

ブルマであれば、細かな筋肉の動きまで顧問の目に留まるので、その都度、細々とした指導を受けることが出来るのです。

姉も私たち同様に、ブルマを穿いて練習をしていました。

そもそも、ピッチリと腰回りにフィットするショーツタイプのブルマが広まったのは、東京オリンピックで海外の女子バレーチームの選手たちがぴっちりタイプのブルマを穿いて試合に臨んでいたのが切っ掛けだと言われています。

当時の女の子たちは、外国人選手たちの穿いていたブルマをスタイリッシュで格好いいと感じていたそうです。

ブルマは恥ずかしいものと捉えている今の私たちとは違った感覚で新鮮に思えるのですが、半世紀前の女子生徒たちの強い要望で広まったぴっちりブルマが半世紀後の女子生徒たちの不評の声の広まりで姿を消したことは、何か皮肉めいたものを感じてなりません。

そんな事情もあってか、バレー部のコーチはぴっちりブルマこそが日本バレーの象徴であり、ブルマこそがバレー部にふさわしいユニフォームと捉えているコーチのゆるぎない信念のもと、姉たちはブルマを穿いて練習をしたり試合をしたりしていました。

日ごろから、「女を捨てろ」とコーチから指導されている姉たちが、唯一自分たちが女子である事を認識させてくれるのがブルマだそうで、そんな姉たちにとってブルマとは、単なるユニフォームと言うだけではなく、女性そのものを表していたのです。



■ 全裸練習2 ■

普段はバトントワリングに無関心の生徒も、女子の裸には関心があるみたいで、同級生や先輩、後輩の女の子が裸でしごかれている様子を一目見ようと、大勢の男子生徒たちが体育館に集まってきます。

私たちが男子の目を気にして委縮していると、

「折角、貴女達の裸を見に来てくれているのよ。貴女達が恥ずかしがっていては、折角見に来てくれているお客様たちに失礼になるでしょ。もっと自分たちの裸を見てもらえるように努力しなさい」

と、顧問の先生は大胆にも恥ずかしいポーズを私たちに要求するのです。

全裸練習は本番を控えて選手たちが委縮しないようにメンタル強化で行っている練習ですから、もし、ギャラリーの目を気にして練習に集中できないでいると、裸で練習する以上のみっともない姿を披露する事になるので、皆はそれが嫌で恥ずかしい気持ちをグッと押さえ込んで、練習に挑むのです。

バレー部の全裸練習の時もバトン部の時同様に、大勢の男子たちが集まってきます。当然ながら、男子たちの見守る中で丸裸でバレーの練習をするのです。

いくら、コーチから「女を捨てろ」と教え込まれていても、おいそれと出来るものではありません。もし、男子の目を気にして練習に集中できないでいると

「何を勘違いしてんだブスどもが。テメーらの汚い裸なんても誰も興味ね~んだよ。恥ずかしがっている暇がるなら、一つでも沸かせるプレイを見せろ」

と、コーチから檄が飛んできたそうです。

全裸練習の時に積極的なプレイを見せないと、裸で練習させられる以上の惨めな思いをするのです。ですから、姉たちは裸でいることを忘れて練習に挑んでいたそうです。

女子である事を前面に押し出すバトン部と、女子である事を全否定するバレー部。顧問やコーチの考え方の違いはあっても、二つの部の根底には同じ考え方が流れているように思えるのです。


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