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このストーリーは、bbs にて、のりぞう 氏より投稿していただいた作品です。 この作品の著作権は のりぞう 氏にあります。



■ 私たちの世界ではブルマは現役です その1 ■

皆さんの住んでいる世界では、1990年代後半から始まったブルマ廃止運動によって、2005年を最後に日本の全教育機関からブルマが消滅したそうですね。

わずか四、五年の間で、長年、女子生徒達の下半身を覆っていたブルマが消失した事は、この世界に住んでいる私にとっては驚くべき話です。

私の住んでいる世界でも皆さんが住んでいる世界と同じように、1990年代後半からブルマ廃止の声が叫ばれる様になると、野原に放たれた火の様にブルマ廃止の流れは瞬く間に日本中に広がったのです。

この辺りの流れは皆さんが住んでいる世界と同じですね。でも、ここからが皆さんの住んでいる世界と私の住んでいる世界とでは少し話が違ってくるのです。

結論から言えば、2014年現在、ブルマを採用している学校は少数となったものの、ブルマは女子の体操着として私達女の子の腰回りを守ってくれているのです。

先程もお話したように、一旦、広がったブルマ廃止の動きは日本中を覆い尽くしたのですが、ここからが少し話が違ってくるのです。

皆さんの住んでいる世界とは違ってブルマ廃止の流れにストップを掛ける勢力が現れて、ブルマ廃止に強く反発を始めたのです。

こう聞くと、ブルマを穿いた教え子を目の保養に従っている男性教師達が強く反発したように思われるかもしれませんが、もしそうであるなら、私達の住んでいる世界でもとっくの昔にブルマは廃止されていた事でしょう。

もちろん、下心丸出しの男性教師たちの意向が全くなかったと言えば嘘になりますが、それはかなり少数の話で、ブルマ廃止の流れに待ったをかけた最大の勢力は、当時の女子学生たちや女性アスリートたちだったのです。


なぜ、彼女たちがブルマの廃止に反発したのかと言えば、

・理由その1

クォーターパンツに比べて機能性が優れている事。

陸上選手たちがちっちゃなブルマを穿いて競技に挑んでいる姿を見ればその理由は明らかですね。身体にジャストフィットして脚の付け根を丸出しにしたブルマは脚の動きを妨げない分、運動しやすい衣装といえますよね。

生まれて初めてブルマを穿いて体育の授業を受けた時、とっても動きやすかったもんね。

・理由その2

経済的な事。

クォーターパンツが一着3000円近くするのに対して、ブルマであれば半額近くで買えちゃいます。クォーターパンツ一着分のお金でブルマが二着買えるなんて、お財布にやさしいですよね。

・理由その3

ブルマがデザイン的に優れている事。

女の子らしい丸みを帯びた腰回りのラインが強調されるブルマは、太ももの付け根辺りから剥き出しになった素足を含めて、私たち女の子の下半身のラインを綺麗に際立たせてくれるのです。

でも、考えてもみれば、お尻のラインが出たり、太ももをむき出しにさせたりする服装が学校指定の体操着だなんて、少しエッチな感じがしますよね。

そのくせ、スカートの丈を短くすると先生から怒られちゃんですよ。何だか少しヘンな話ですよね。

・理由その4

伝統を守り通したいとの想いから。

保守的な考え方を持つ女の子徒達からは、東京オリンピック以来、長年にわたって穿き続けられてきたブルマに愛着を抱いていたのです。特に、お嬢様学校の生徒はそんな風に思っているみたいですよ。

ブルマを穿く恥ずかしさよりも伝統を大切に思うなんて、私、とても素敵な考え方だと思います。

・理由その5

ブルマを女性のシンボルとして捉えているから。

女子はズボンも短パンも穿く事は出来ますが、男子はスカートやブルマを穿く事は出来ませんよね。そういう事情もあって、ブルマは女の子しか穿けないと言う特権意識を持つ女の子も居るのです。

ブルマが廃止になれば、その特権の一つが奪われる事につながるのです。ブルマを女性差別と捉えている皆さんの世界とは少し異なった価値観だと思われるかもしれませんが、私達の世界では、少なからず、その様に捉える人たちがいるのです。

以上の理由から、当時の女子生徒の間でブルマ廃止に対して反発の声が上がったみたいですよ。



■ 私たちの世界ではブルマは現役です その2 ■

(1)

私が初めてブルマを見たのは、私が小学4年生の時だったかな。

当時、私の通っていた小学校は短パンで、卒業後に通う事になっていた中学校もクォーターパンツを使っていたので、ブルマなんて見た事すらありませんでした。

体育の時間に体操シャツの裾を短パンの外に出していると「ダラシナイからシャツを仕舞いなさい」と先生から注意された後「ブルマを使っていた時は、先生から注意される事もなく、きちんと身なりを整えていたものです」の一言がお説教の後に必ず付け加えられていたので、ブルマ自体は見た事なかったものの、ブルマと言う名前だけは知っていました。

(先生が言うブルマってなんだろう?)

先生がお説教の度に口にする“ブルマ”の事が気になった私は家に帰って「ブルマってナニ?」と母に尋ねると、母は「ブルマなんて懐かしい。お母さんが学校に通っていた頃に使っていた体操着の事だよ」と母は自分の卒業アルバムを開いて私に教えてくれました。

母が見せてくれた卒業アルバムを見て、私はショックを受けました。

母が開いたページのアルバムの写真は部活の風景を写した写真でしたが、写真には、赤色をした下着みたいなパンツを穿いた母が部活の仲間達と一緒に笑顔でピースサインをしていたのです。

母が穿いていた下着みたいなパンツがブルマだったのです。

しかも、母は比較的背の高い女の子達の集まっているバレー部の中でも更に背が高いので、母のブルマ姿が余計に目立っていました。

この時、母が見せてくれた卒業アルバムは高校の時の卒業アルバムだったので、かなり大人っぽい身体つきをしていました。

背が高くて女子と言うよりも女性の身体つきをした母が、下着みたいなブルマを穿いて、部活のチームメイトたちと無邪気な笑顔を見せてピースサインをしているのに、何とも言えない気持ちになりました。

学校には男子や男の先生がいます。

「恥ずかしくなかったの?」

下着姿と変わらぬ格好をしていた母の姿に思わずそう尋ねてしてみると、母は「当時はそれが当たり前だったし、これが普通だったからね。恥ずかしいと言う気持ちよりも、部活でミスしたりファイトをみせなかったりすると、顧問の先生から『ミスをするのは気合が入っていない証拠だ』と言われて、怒られた後にビンタされたりお尻を叩かれたりしていたから、そっちの方が気になっていたかも」と懐かしそうな顔をして答えてくれました。

私はブルマ自体ショックを受けたのに、昔、先生が日常的に母のほっぺたやお尻を叩いていた事に悲しい気持ちになりました。先生が生徒の身体を日常的に叩くなんて考えられない話です。

でも、それも昔の話です。今はきつく叱られる事はあっても叩かれる事なんてありません。

当時の私はそう思ったのですが、そんな母の話してくれた世界が現実に存在する事を知ったのは、それから少し経ってからの事でした。


(2)

小学4年生の冬、私は市民マラソンに参加しましたが、短パンやクォーターパンツを穿いた女の子達に混じって、一人だけあのブルマを穿いた女の子がいたのです。

初めてブルマを知って以来、私はインターネットを使ってブルマの画像ばかり集めると言う、女の子にしてはちょっと変わった趣味を持つようになりました。

ブルマについて色々と調べていると、まだ、少数ながらブルマを採用している学校がある事を知りました。そして、新たに開校する学校の中にも、生徒の規律を糺す目的でブルマを採用する学校が増えている話も知りました。

そんなブルマ好きになってしまった私の目の前に、本物のブルマ姿の女の子が現れたのです。

その子は小柄な身体つきをしていたので、私と同じ小学生だと思っていましたが、体操シャツの胸元に○中とプリントされていたので、彼女が中学生と言う事が分かりました。

更に、お腹と背中のところにゼッケンが貼られていて、ゼッケンには『1年○組 伊東渚』とマジックで目立つ様に大きく名前が書かれていたのです。

渚さんは小柄ですが、紺色のブルマに包まれたプリッと突き出た小さなヒップのラインはとても綺麗で、上向き加減のお尻のお肉、ブルマの裾から伸びた太もものお肉もキュッと引き締まっていました。

スポーツ好きの私の母も渚さんと同じような下半身をしているので、渚さんもスポーツで身体を鍛えているのかもしれません。

そんなブルマ姿の渚さんは一人だけブルマ姿でいるのが恥ずかしかったのか、落ち着きのない様子で太ももやお尻を擦っていると、ジャージ姿の男の人が渚さんのそばに寄り、いきなり手にしていた細長い棒みたいなもので彼女の手と太ももを叩いたのです。

パチンと言う肌を打つ音が聞こえてくると、渚さんは「すいませんでした」と大きな声を出して男の人に謝りました。

その後、二人は人ごみの中に紛れてしまい、どこに行ったのか解からなくなってしまいました。生まれて初めて目にする生のブルマに少し興奮を覚えた私は、渚さんの姿を見失ったことに残念な気持ちになりました。

マラソン大会が終わって家に帰ると、私は母に今日見た渚さんの話をしました。

女の子なのにブルマに興味を持つ私に母は「私の血を濃く受け継ぎ過ぎたのかしら?」と戸惑い気味に笑いました。

母のスポーツ好きはブルマから始まったそうです。

特に数多くあるスポーツの中でバレーボールを選んだのは、母の背丈が高かったのもありますが、母のブルマに対する愛着の強さも、母をバレーの世界に足を踏み込ませた切っ掛けのひとつだったのです。

中学に入学してすぐ、部活紹介で白いトレーナーシャツに体育の授業で穿くブルマよりもスタイリッシュなデザインをした真っ赤なブルマを穿いたバレー部の先輩達の姿に強い憧れを抱いた母は、バレー部に入部。

小学校を上がりたての1年生とは言えども容赦はなくて、顧問の指導は厳しくて、朝早くから夜遅くまで練習漬けの毎日。

家に帰ってやる事と言えばご飯を食べてお風呂に入って、宿題をやって寝るだけの日々。休みもテスト週間とお盆とお正月の数日だけ。

友達と遊ぶ暇もなく、家族と一緒に過ごす時間もなく、ほとんど休みなく部活に打ち込んでいたそうです。

そんな部活漬けの中学三年間を過ごすと、今度はバレーの中堅校と知られている高校へ入学。

本当は強豪校への進学を希望していたそうですが、部活の頑張りだけではどうすることも出来ず、母の実力では中堅校が精いっぱいと言う事で、卒業アルバムを見せてくれたあの高校へ入学したのです。

高校時代は中学の時よりも更に厳しい練習を科せられたそうで、ビンタ、太ももやお尻叩きは日常茶飯事、時には気を失うまでしごかれた挙句、真冬でもバケツに入った冷たい水をぶっかけられた後、全身ずぶ濡れの状態で小雪混じりの北風が吹く運動場を走らされたそうです。

「水にぬれた体操着が汗まみれになって、それが凍りつくからとても辛かったのよ」

母はその時の事をこう振り返りました。

ブルマに強い関心を抱くのは解からなくもありませんが、だからと言って、何で、母がこれほどまで厳しい世界に飛び込んだのか私は不思議に思いました。

でも母は「ブルマ姿でしごかれてみると、お母さんの気持ちも解かってくるわよ。きっと、今日見た渚ちゃんも私と同じ気持ちで頑張っているのかもしれないね」と話してくれました。

ブルマ姿でしごかれる気持ちってどんなんだろう? そんな私の疑問は時がたつにつれて大きく膨らみ続けて、やがて、私の進路に大きな影響を与える事になったのです……。


(3)

私が中学に進学する年の春に、私の住んでいる町に中高一貫の私立学校が開校する事をネットで知ったのは小学5年生になってすぐの事でした。

私は開校を目前に控えたその学校のHPを見ると息が詰まる思いがしました。

体操着紹介のページには可愛らしい女の子のモデルさんが白い半そでシャツに紺色のブルマを穿いていたのです。

学校の特色には『時には体罰をいとわない厳しいしつけと指導』の文字が……。

校長先生は女の先生がなるそうで、とても綺麗で厳しそうな顔をした先生でした。私は校長先生の事が気になって、彼女の名前で検索すると、昔はバトン部で厳しい指導をしていた先生だと言う事が分かりました。

そのバトン部について調べてみると、恥ずかしい場所がギリギリ見えるか見えないかのとてもエッチな感じのするレオタードを身に着けてパレードをしている女の子の画像が出てきました。

レオタードの画像のほかにも、ブルマから突き出た太ももや捲れたブルマ裾から露わになったお尻のお肉に蚯蚓腫れや青紫や赤紫色をした痣を作った女の子の姿の写真も……。

写真の女の子たちはミスをするたびに、鞭でお尻や太ももを叩かれるのです。彼女たちの負った傷痕は、部活の指導の時に出来た傷なのです。

それでも女の子達はお尻や太ももに痣を作っても、どんなに痛い目に遭っても泣き顔ひとつ見せずに笑顔で健気にバトンを回し続けるのです。

お尻や太ももに出来た傷跡は、女の子たちの頑張りの証なのです。私はそんなバトン部の女の子たちの姿にドキドキしてきました。

『ブルマ姿でしごかれてみると、お母さんの気持ちも解かってくるわよ……』

この時、私の頭では母の言葉が繰り返し再生されていました。

(この学校に通ってみた……)

この学校に入学すれば、想像以上の厳しい毎日が待ち受けている事ぐらいは想像できます。でも、そんな事よりも好奇心の方が勝っていたのです。

その日、私は両親に自分の進路について話しました……。


(最終話)

真新しいショーツは純白で、ハイカットのデザインをしています。今まで穿いた事の無いデザインのショーツです。ブラも普通のブラではなくて純白のスポーツブラ。これは、今日から私が通う事になる学校指定の下着です。

下着の上にこれもまたハイカットをした花紺色のブルマを穿くと、脚の付け根のラインが丸見えになってしまい、頬や耳が熱くなる。

ブラにハイレグタイプのブルマ姿の私は真新しい白色のセーラー服の上着に紺色のスカートを穿いて、あとはブルマと同じ花紺のスカーフを巻けば準備完了。

今日から私は、厳しい指導を前面にアピールしていたあの学校の生徒になるのです。

緊張と興奮に湧き上がる私を落ち着かせるように優しく包み込んでくれる真新しいセーラー服。鏡の前で身なりを整えると、私は部屋を出て母の前に立ちました。

今日から始まる中学生活を前に、母から気合を入れてもらうためです。

「気合入れお願いします!!」

真っ直ぐ母の顔を見つめる私の頬に母の平手が襲います。

背が高くて力強い母の手のひらが私の頬を痛めつけると、私はジンジンと痛む頬を気にしつつも「気合入れ、ありがとうございました。では、行ってきます」と家じゅうに響くぐらい大きな声で「行ってきます」を言いました。

「気を付けて行ってきなさい」

私を送り出した母の顔はとても厳しく暖かだった。

今日から私は中学1年生。ブルマのある世界で、私、頑張ります!!


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