投稿作品集 > 静香と香澄 p.38
このストーリーは、bbs にて、鳳仙 氏より投稿していただいた作品です。 この作品の著作権は 鳳仙 氏にあります。
翌日。
いよいよ偽装入院計画の初日となった。いつも通りの朝と違い、祐輔と村岡に緊張の色が浮かんでいた。
「旦那様、時間は正午、会社から外へ出られた時、黒のセダンが参ります。そしてお車が近付いたところで、アタッシュケースをぶつけられますよう」
「そして僕はその場に倒れるんだな?」
「左様で御座います。一応、運転手にはくれぐれも注意を申し付けておりますが、万一を考え、お車の正面でなく、角すれすれにお立ち下さいますよう。因みにケースは衝撃を受けると、大きな破裂音が鳴るよう細工して御座います。この音により、付近にいる者は旦那様が事故に遇われた事、確信します」
「うむ、分かった。……不在中、くれぐれもな……?」
「はい、確かに承っております。旦那様、お気をつけて……」
村岡は、この家で暫く見る事のなくなる、主の後ろ姿を心配そうに見送った。
時と所変わって、香澄の通う中学校の昼休みである。
「あ~、今日は家庭教師の日だわ……」
友人達と昼食を囲みながら、香澄が愉しそうに呟いた。
「香澄ちゃん、家庭教師の日って割には、楽しそうだねっ? 何? 先生がイケメンとか?」
「うん、それもあるけど……」
香澄は頬を染めた。確かに、義兄である浩輔の家庭教師は楽しい。彼は明るく優しいし、教え方も丁寧である。
が、彼女の一番のお楽しみは、小テストで赤点を取った後に訪れる。言わずもがな、義兄祐輔からのお尻ペンペンである。
確かに、お尻丸出しは恥ずかしくもあるが、お仕置き後は思いっきり甘えさせてくれる。それが、香澄の心の隙間を埋めていて、彼を理想の父と位置付けているのだ。
尤も、本人に自覚はないが、お仕置きを悦ぶMとしての気質も無くはない。でなければ、如何に信頼しようと、下半身裸となって身を委ねられるものではない。
「いいな~、私なんか厳しいオバサンが先生だよ~? ちょっと間違えただけでも、いやらしい言い方するし……」
と、友人が言い掛けた時である。教室のドアが開き、教頭が姿を現した。
「二階堂さんっ、た、大変ですっ」
そして彼は、慌てふためくように香澄の元に来た。仮にも教頭たる立場の者、一人の生徒に急を告げにくるのも可笑しいが、これは二階堂に対する礼儀である。
「二階堂のご当主様が事故に遇われましたっ。そこで至急、病院に来るようにとの事ですっ!」
香澄は驚いた。
「えっ! お、お義兄さんがっ!?」
記憶に新しい病院が車窓から見えた。そう、数日前まで晴美が世話になっていた総合病院である。
『大したこと無いよねっ……! お父さん、大丈夫だよねっ!』
香澄は気が気でない。彼女はタクシーから降りると、メイド長の歩美の出迎えを受けた。
「香澄様っ、旦那様は応急措置を受けられ、MR室に入られたばかりに御座いますっ。お支払は私に任せて、早く中へっ」
彼女の表情も焦燥感がありありと出ていた。香澄は涙ぐみながら、転ぶが如く院内へと走った。
MR室の待合室。そこには静香に村岡、そして晴美と裕美が既に揃っていた。
「お母さんっ、お義兄さんはっ!?」
疾走してくる娘の姿に、静香は落ち着くよう手交ぜをする。
「香澄っ、大丈夫っ! 祐輔さんは大丈夫だからっ!」
取り敢えず、命に別状は無いとの事。ただ、倒れた際に頭を強打しており、暫くは絶対安静で様子を見るとの事。あと、右半身に打撲骨折が数ヶ所あるが、そちらは問題無いとの事。
「意識は戻られましたが、MRの結果、頭部内に一部出血がみられます。一応、今後検査も含めて安静としていただきたいので、くれぐれもお見舞いはお静かな対応でお願いします」
医者の説明に、皆一応の安堵を見せる。この頃には、会社の幹部や親戚らも集まっていた。
「何はともあれ、大事ないのは不幸中の幸いだ」
まず、叔父の祥二がそう言うと、浩輔も相槌を打った。
「働きづめでもありましたからね。骨休みも兼ねて、兄貴にはゆっくり休んでもらえばいい」
二人はそう言いながら、意気消沈している家族を励ました。
「皆様、お忙しい中、駆けつけて下さいまして、ありがとうございますっ」
俯き沈黙したままの晴美に代わり、静香が一同に挨拶をした。そして彼女は、容態が安心出来るまで、祐輔の付き添いを志願した。
が、村岡はそれを柔らかく拒んだ。
「静香様、それならば私が付き添いをいたします。貴女様には、大旦那様の看病も御座いますれば、今日はお帰りなされた方が宜しいかと存じます」
「……だけど村岡、貴方も晴美さんも仕事があるし……。ここは私が……」
「静香様、私の事など気遣いなさいませんように。どうしてもと仰るならば、交代で付き添うよう致しましょう。まずは今夜は私めが勤めますので」
親戚一同、村岡の提案に賛成した。大事ない、とはいえ、容態が確認出来るまでは、やはり誰か付き添いをしたがいい。
そして皆、一旦帰宅する事になった。親戚や役員らを、家族は見送らなければならない。当然、晴美も先に帰る訳にはいかない。
「専務」
あらかた人が帰ったところで、祥二は晴美を役職で呼んだ。名前で呼ばない辺り、彼女に対して冷ややかな感情が込められている。
「……はい」
「祐輔君……会長をはねた加害者だが、君の従兄弟だそうだな?」
「……はい」
「明日、午前9時より緊急役員会議を行う。必ず出席するように。いいかな?」
「……分かりました」
晴美は呟くように答えた。
現在、彼女の心理状態は複雑である。祐輔の事故による入院―これは、彼女の野心が顔を覗かせた、大慶この上ない珍事である。
『僕が不在中は、お前が家長』
かつて彼が言った言葉通り、自分が二階堂の家を仕切れるのだ。無論、静香や香澄も思うがままいたぶれる。
が、そもそもの事故に、一つ大きな問題があった。一族のお荷物、鉄雄が加害者であった事だ。当然、自分が直接関与した訳でもないが、『身内の無職』が起こした責は、何らかの影響を藤原全体に及ぼさずにいられないだろう。
故に彼女は、内なる喜びを隠し、神妙たる態を装いながら、まずその嵐を乗り切るつもりでいた。
やがて、祐輔が入った特別個人病室には、彼と村岡の二人のみとなった。
「旦那様、皆様お帰りになられ、私一人に御座います。いかがご様子で御座いますか?」
心配そうなその声は、計画通りの狂言か、はたまた不都合で実際怪我をしたのか、確認するまで不安であるに違いなかった。
「ああ村岡、僕は大丈夫だ。心配ない、計画通りだ」
主は狸寝入りを止め、彼を安堵させた。
「宜しゅう御座いましたっ。万一の不慮もなく、村岡、喜びにたえませんっ」
村岡は涙すら浮かべ、主の無事を祝った。
「村岡、お前には感謝の言葉もない。ありがとう。……それより、祥二叔父は、怒っていたようだな?」
「はい、藤原の身内が加害者たる事で、奥様さえ役職でお呼びなされておりました。明日、緊急役員会議をお開きになるそうで御座います」
「で、晴美はどうだ?」
「はい、神妙な態をおとりになっておられましたが、香澄様を時折舐めるように見ておられました。間違いなく、旦那様の推測通りとなるに違いありません」
「……そうだろう、晴美にすればまたとない機会だろうからな」
「そして旦那様、静香様に香澄様ですが、非常にご心配なされたご様子でして……。あのように取り乱したお二方を見たのは、私も初めてに御座います」
村岡の言葉に、祐輔は頷いた。
「そうか……。静香ばかりか、香澄までもな……」
彼は涙ぐんだ。これから自分の不在中、彼女達がどのような目に遇うか、容易に想像出来るからである。
「村岡、僕は夜中に目を覚まし、静香と香澄を心配していた。そう、二人だけに告げてくれ」
「はい、旦那様っ。そして旦那様のお指示通り、お二方が行き過ぎた仕打ちをお受けにならぬよう、私めが責任持ってお助け致しますっ」
翌日、二階堂グループの緊急役員会議において、会長不在中の体制が検討され、副会長の祥二が会長代理に就任した。また、会長の不慮な事故に対してであるが、
『会長は意図的に狙われたのではないか?』
これが二階堂グループ役員らの、藤原一門に対する疑惑となっている。
まず、加害者である無職の鉄雄が、なぜ縁もない本社ビルの近くに居たかという事である。更に、警察からの事情聴取で、鉄雄が説明に窮した余り、さる貴婦人から頼まれたと暴露したからでもある。
これには警察も更なる追求をしたが、鉄雄は自身のレイプ未遂が発覚するのを怖れ、聡美の事は口にしない。故に、申し立ては支離滅裂で二転三転を繰り返した。
結果、供述が曖昧な事、更に依頼があったにせよ、その根拠や信憑性に欠ける事から、人身事故として受理された。
この不可解な彼の供述は、役員全ての知るところとなっており、その貴婦人が晴美ではないか? との疑惑もある。
会長代理となった祥二は、かねて増長著しい彼らに疑惑を最大限に活用すると共に、それを公表した。そして、三名の役職者の処分を言い渡した。
鉄雄の父である政雄は、身内の不始末により減給及び役員からの降格。藤原の長である晴美の父、一郎は一ヶ月の減給に、二週間の自宅謹慎。更に、疑惑の当事者筆頭である晴美に対しては、会長復帰までの長期停職処分とした。
『あくまでも疑惑は疑惑であるが、この事故はどう考えても不自然極まりないっ! また、会長に大事は無かったものの、万一の事があれば取り返しがつかなかったであろうっ。よって、証拠不十分ながらも、三名の処罰を検討した訳であるが、これに賛成の者、挙手を願う』
会長代理の言葉に、殆どの役員が右手を挙げた。その中には、藤原の派閥の者も複数見られ、彼らの没落を確定的なものにした。
そしてこの会議の後、藤原一門は鉄雄を呼び出し、如何なる流れで事故を起こしたかを詰問した。
鉄雄は親親類一同の前で面罵されつつも、やはり事実は述べられない。ただひたすら、詫び入るばかりであった。そして、警察へ「さる貴婦人から頼まれた」と述べた事については、咄嗟の事で混乱し、嘘をついたと釈明した。
「その貴婦人が私にされてんのよっ! 咄嗟の嘘で、何でそんな具体的な例が出るのよっ!」
晴美や一門は、これを事実と推測している。でなくて、この不自然な事故など起こりようがない。彼らは、宥め脅し、手を変え品を変え鉄雄に事実を話すよう問い詰めた。
やがて鉄雄も折れた。彼はやむ無く、レイプ未遂と変装の女の事を話した。
「怪我をさせるだけでいいって言われて……。それで仕方なく……」
一族の落胆は大きい。
なるほど、変装の女なるものが絡んでいたのが分かった。しかし、この話は申し開きが出来ない内容である。
レイプ未遂で取り押さえられ、それを見逃す代わりに会長を怪我させるよう頼まれた。そして、それを実行する為車で跳ね、謝礼金まで受け取った。公表すれば、藤原一門の恥の上塗りである。
「これはどうやら何者かが、我らを貶める為に仕組んだ罠に違いない」
一人の呟きに、一同頷いた。真っ先に黒幕として挙がった者、それは会長代理の祥二である。
「貴婦人と云うのが、そもそものカモフラージュで、会長代理の仕組んだ事ではないか?」
「会長を廃し、自分が二階堂を手中にする陰謀と考えられる」
「なるほど、そして行く行く後釜には、自分の息子を据えるつもりなのだろう」
「とにかく女だ。その女を捕まえなければ、真相が掴めまいっ」
衆は、鉄雄に女の連絡先を聞いた。
「それがその……。会長をはねる前に番号を消されちゃったんで……。もう会う事も無いからって……」
なるほど、これで益々陰謀である可能性が濃くなった。恐らく、そのレイプ未遂とやらも狂言であろう。女の目的は、会長を藤原一門に怪我させる事一つにあったに違いない。
「問題ない。携帯には内部に履歴が残る。幸い警察内部に知り合いがいるから、調べて貰おう」
無論、表沙汰には出来ない。出来ないながらも、一門団結し、活路を見出だそうとしていた。
「女を見つけられれば、誰の差し金かを吐かせられる。皆、それまでの辛抱だ。いいな?」
一門の総領、晴美の父一郎がそう締めくくった。
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