投稿作品集 > 新聞記者美里・序章 p.01

このストーリーは、bbs にて、たぐお 氏より投稿していただいた作品です。 この作品の著作権は たぐお 氏にあります。



「宇野くん!」

「は、はい!」

ゴールデンウィーク明け最初の週末を控え、金曜日の朝刊の執筆で慌ただしい記者室の中で、異彩を放つ華やかな装いの女性が立ち上がった。

グレーのパンツスーツに白いカットソーと決して派手な格好をしている訳ではないが、モノクロ写真の中で彼女だけがカラー写真のように輝いていた。

フワッとしたパーマがかかったセミロングの髪からシャンプーの薫りを振り撒きながら、自分を呼び付けた高上課長の元に駆け寄る。


「今週末の民民党の小田幹事長の二泊の神戸遊説に同行記者を募っているが行ってみるか?」

「えっ」

宇野美里。関西の名門D大学の政策学部出身で、国内屈指の朝経新聞の政治部の取材記者になりたての新米だ。しかし、彼女の将来は明るい、と誰もが思っている。

その一番の要因は学力もさることながら、その容姿だ。ともすれば、肉体労働になりがちな記者には、体力自慢の体育会出身の女性が多いが、美里はD大学三回生の時にミスキャンパスに輝いたのだ。当時、そのルックスはネット上で"美人すぎる"と評判になった程だった。

「えっ? ホントですか? 私が行っていいんですか?」

ミスキャンパスとしての多忙な生活の中でも、ゼミなどを通して、政治に関して十分に勉強してきた自負はあったが、相手の小田幹事長は次期首相の最有力候補と言われる政治家だ。しかも、神戸遊説となれば、地域政党を率いて世間の支持を集めている橋原大阪府知事との会談が設定される可能性もある。


入社してからの約一ヶ月まずは身体作りだと言われ、毎日、慣れない体力トレーニングで痣ができるほどしごかれている身としては、一人で取材するには荷が重すぎる気がしたのだ。

「ただな。民民党が用意してくれる部屋は一部屋だから、堀口、三井と同部屋だ。イヤなら今回は諦めろ」

(えっ……)

堀口と三井というのは40代後半のベテラン政治記者だ。堀口は最近では社説の執筆を任されることがあるほどの実力をもった政治一筋の記者だし、三井は社会部出身で何度も決定的な写真で賞を受賞した実績の持ち主であった。

二人とも朝経新聞のエース記者でほとんど社に戻ってくることがないので、美里は挨拶程度しかしたことがなかった。二人の記者としての実力の確かさには口を挟む余地はなかったが、問題は二人が男性である、ということだった。

(男性と相部屋なんて……でも、先輩の女性記者やカメラマンはいつも男性と同じ部屋に泊まっているらしいし……旅行じゃなくて取材なんだから当たり前なのかしら……それに、立派な一流の記者がセクハラまがいの行為に及ぶとは思えないわ……)

「だ、大丈夫です! ぜひ行かせてください!」


美里は理解していなかった。自分の魅力が、人類学的に"女性"である以上に、どんなに真面目な男性の道徳をも惑わせる危険を孕んでいることを。ましてや、美里は知らなかったが、堀口と三井は記者としての腕は確かだが、他にも色々と噂のある男たちなのだ。

「そうか、じゃあ、三人で行ってもらおう。高級旅館の個室露天風呂付きらしいから楽しみにしておけよ」

翌日20時過ぎ、美里はのぞみ号のグリーン席のチケットを握りしめて東京駅のホームに立っていた。結局、二人は名古屋での取材が長引いたらしく、新神戸駅で待ち合わせ、ということになっていた。

新幹線のグリーン席のチケットも高級旅館も全て民民党が用意してくれているそうだ。そんな関係で果たして公正な取材が可能なのかと疑問に思ったが、周りにはそれが慣例だと一笑されてしまった。大学では習わないことばかりだ、そう思いながら、美里はため息をついた。

静かにホームに滑り込んできた新幹線に乗り込み、グリーン席のシートに身体を埋めると、ゆったりとしたシートにも関わらずお尻に鈍い痛みが走った。この一ヶ月で慣れっこになってしまった痛みだ。


(今日はいつも以上に厳しかったわ……また、お尻に痣ができてたし……)

記者としてやっていく為の精神と体力を養うための研修という名目で、一日の半分以上を費やしている体力トレーニングは体育会出身の同期でさえ音を上げる程であり、運動経験のない美里は毎日付いていくだけでやっとだった。

日常的に竹刀を持ったサディスティックな教官に体罰を加えられ、精神力を鍛えるためだという名目でパワハラ、セクハラ的な言動を浴びせられることも珍しくない環境は確実に美里の精神を痛めつけていた。

その一方で、ミスキャンパスとした高めた美意識は衰えることはなく、研修が終わるとヘトヘトになって早々に退社していく同期を尻目に必ずシャワーを浴び、髪やメイクを整えていた。その甲斐あって、夏前とは言え、本社ビルの屋上で強い日差しに長時間さらされていても、透明感のある白い肌は全く損なわれてはいなかった。

さらに、政治記者になるという夢の為に、シャワーを浴び終えた後は記者室で、朝刊の準備の佳境を迎えている先輩たちの背中を見て学び、できることがあれば手伝い、退社するのは終電間近という生活を繰り返していた。


「まもなく新神戸~新神戸。何方様もお忘れ物のないようにお降りください」

新神戸到着を知らせる車内アナウンスで美里はハッと目を覚ました。

(いけない。寝ちゃったわ……)

膝の上で開いたままになっていた小田の著書をバッグに詰めるとホームに飛び降りた。堀口、三井との待ち合わせは改札口を出たところにある「お待たせ桶」というシンボルの前と言われていた。一つしかない改札を意外に思いながら、桶の前でキョロキョロと見回した。

(新人の顔なんて覚えてくれていないだろうから、自分で探さなきゃ……)

イントラで確認してきた二人の顔を思い浮かべながら必死に探す。

「ご苦労さん」

声を掛けられて、慌てて振り向く。カメラを首から下げた男性、その顔には見覚えがあった。


「み、三井さん、ですか?」

「あぁ」

「お、お疲れ様です」

「おぅ、おつかれ」

三井の後方にいた堀口もゆっくりと近付いてきた。足元から舐めるような視線が上がってくる。女を品定めするような美里が嫌悪する視線だ。

「ほぉ、噂通り……」

(どうせ、可愛いお嬢さんだ、とか言うんでしょ!)

嫌悪を顔に出さないように注意しながら、悪態を付く。


「相当がんばってるようだな」

「えっ?」

「そうですね」

「課長がな、相当がんばってる新人がいるから、同行させてやれってうるせぇから渋々受け入れたんだが、噂通りのようだな」

「あぁ、顔つきも身体も一ヶ月前とはえらい違いですね」

「ヒョロいのが来たら、追い返してやろうと思ってたんだが、合格だ。付いてきな!」

そう言うと二人は美里に背を向けて、出口に向かって歩き出した。

「あ、ありがとうございます!」

美里は二人の後ろ姿にお辞儀をして、慌てて追いかけて行った。

(性別や容姿のことに触れずに、私の努力を見てくれていた! この人たちなら信頼できるわ!)


三人は駅からタクシーに乗って、民民党が用意してくれたという六甲山の阪神側中腹にある旅館に向かった。

約一時間の道すがら、タクシーの運転手が、この旅館はわざわざ六甲山の反対側にある有馬温泉から温泉脈を引いていて、温泉に入りながら夜景を楽しめるのだ、と教えてくれた。

(わー楽しみ。いやっ、仕事よね、ダメダメ……)

午前1時。ようやくタクシーが旅館のフロントに滑り込んだ。タクシー料金の領収書の宛先は当然のように「民民党」であった。深夜にも関わらず二人のベルマンが飛んできて、すぐに荷物を運んでくれる。

手ぶらになった美里は思わず建物を見上げた。旅館という語感から想像する建物とははだいぶ趣きが異なっていた。和風でありながら、まるでホテルのような四階建ての建物であった。

お喋りなタクシー運転手によれば、部屋数は二、三階に三部屋ずつ、四階には二部屋で計八部屋しかなく、屋上には大露天風呂があるということだった。


「おい、仕事道具まで預けるヤツがあるか。ロビーで何かあったらどうするんだ」

「あっ……す、すみません……」

取材用のICレコーダーや筆記用具を入れていたバックまでベルマンに預けてしまったことに気付き、美里は頬を赤らめた。

(そうよね。仕事で来ているのに、恥ずかしい……)

三人は建物内に入ると、高級そうな調度品が輝くロビーの奥にあるレセプションに向かった。遅い時間にも関わらず、ロビーでは各社の取材陣なのか、いくつかのグループが集まっていた。慣れない雰囲気にキョロキョロする美里に対して、二人は慣れた調子で歩いて行く。

(あらっ?)

エレベーターに乗り込んでいった女性の横顔に見覚えがあり、美里は立ち止まった。


森暁美。美里がD大学のミスキャンパスに輝いたのと同じ年度のR大学のミスキャンパスだ。ミスキャンパスイベント関連の活動やミスキャンパスに輝いた後も同じ京都のミスキャンパスとして様々なイベントに一緒に出席したので、間違うはずはなかった。

(彼女もマスコミ志望だったのかしら……そういえば、あまり就活の話はしなかったわ……海外にも留学していたらしいし、女子アナならわかるけど……記者なんて私だけだと思ってたわ……)

「行くぞ」

美里が思いを巡らせている間にさっさとチェックインを済ませた堀口に促されて、三人は部屋のある三階に向かった。本当に暁美だったのか、美里の抱いた疑問はすぐに氷解した。

3Fに到着すると、エレベーターホールの前の部屋に暁美を含む三人がまさに入ろうとしているところだったのだ。


「あっ」

思わず、美里は声を上げた。

「ん? 知り合いか?」

「は、はい」

「はじめまして。毎売新聞 政治部の森暁美と申します」

エレベーターに背を向けていた暁美が振り向いて、堀口と三井に向かって頭を下げた。

美里と暁美を除く四人の男性の表情が強張った理由が分かった。朝経新聞と毎売新聞は二紙で国内のシェアの八割を半々に分け合い、政治信条も正反対、まさにライバルであり、記者同士も犬猿の仲の新聞社なのだ。


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