投稿作品集 > ブルマー p.04

このストーリーは、bbs にて、のりぞう 氏より投稿していただいた作品です。 この作品の著作権は のりぞう 氏にあります。



■ その10 ■

女性体育教師の発した脱衣の指示に拒否感を示す生徒たち。

指導と言う名の下で女子生徒を裸にして、時には剥かれたお尻に鞭を打つことも厭わないのがこの学校の教育方針。スパルタ式の学校である事は分かっていたしそれを承知の上で入学したのだ。

これからの三年間、新入生たちが学校の規則に従えれるのかをこの女性教師は新入生たちを試したのだ。

しばらくの逡巡の後に三人の生徒がおもむろに上着を脱いで胸を出した。

最初に上着を脱ぎだしたのは、小麦色に焼けたスポーツ刈りの子。ショートカットで背の高い子。そして、ボブショートで肉付きの良い健康的なボディーをした子の三人だった。

三人が胸を出すとそれにつられて他の生徒たちも恥じらいながら上着を脱ぎ始めた。

教室の中でトップレスになっていく少女たちを見つめながら満足げな表情を浮かべる女性体育教師。

彼女は今、教壇の上で脱衣の指示を出せる立場だが、高校時代の彼女は違っていた。高校時代の彼女は、今、彼女の目の前でトップレスになっていく女子生徒たちと同じ境遇に置かれていた。

高校時代、彼女はバトントワリング部に入っていた。入っていたと言っても、自らの意志でバトン部に入部したわけではなく、クラスの推薦で入部させられたのだ。

スポーツの苦手な女の子たちが集まったバトン部だったが、彼女だけは違っていた。中学校時代まで特にこれと言ったスポーツをやっていたわけではないがセンスはあった。

バトン演技に欠かせない片手側転や倒立前方回転に後方宙返りなどのアクロバティックな動きも数回練習するうちにモノにしてしまうぐらいだった。

いくら運動神経が良くてもバトン部には理不尽ともいえるしごきからは逃れることは出来ない。

バトン部の練習は厳しくて体罰も厭わない。時には男子生徒たちが見守る前で裸に剥かれて開脚のポーズを取らされることもあったし、時にはブルマーを脱がされてお尻を指導棒で激しく打擲された事もあった。

白桃のような瑞々しく張りのある健康的なお尻も懲罰が終わるころには赤紫色に変色していた。痛々しいまでに腫れ上がった臀部の薄皮がめくれて、うっすらと血が滲むこともあった。

懲罰が終わると脱いだブルマーを引き上げて傷だらけのお尻をブルマーで隠すことを赦されるが、隠すのはお尻の傷口だけではない。打たれた痛みも隠すのだ。

打擲された痛みで立つのもやっとのぐらいなのに、その痛みの引かぬうちから再び練習の輪に加わるのだ。ブルマーの上から痛みの走るお尻を摩りながら練習の輪に入るとお尻から手を放す。

お尻から手を放してバトンを握りしめたその瞬間から、ジンジンと熱を持つ痛みを押し込めて、痛みに歪む顔を笑顔に変えて踊りだすのだ。

バトン部時代、文字通り、血の滲む練習を繰り返し、必要とあればレオタードを脱ぎ捨てて、思春期太りなど無縁なスラリとした肢体を惜しげもなくさらけ出して華麗に舞った。

恥じらいの色に染まった肌をさらけ出して舞うその姿はどことなく儚げでありながらも、涼やかな目元に意志の強さを感じされていた。

彼女の瞳に宿る光は決して衰えることはなかった。たとえ、練習に過酷さが増しても変わらなかった。むしろ、過酷さが増せば増すほどその輝きは強さを増していったのだ。

思春期の少女が放つ繊細さと内面に秘める意志の強さ。男子たちは異なる二つのイメージを持つ彼女の事を賛辞とバトン部に身をついやつした嘲りの意味を込めてクールビューティーと讃えていた。

クールビューティーの美人体育教師の片鱗はこの頃から見せていたのだ。高校時代の彼女は男子生徒全員の憬れの対象でもあったのだ。

高校時代の三年間、過酷ともいえるバトン部に身を投じてきた彼女はバトン部の顧問の勧めで自分と同じ体育教師の道を歩む事になった。

高校に入学当初、彼女は教師に、ましてや体育の先生になろうとは思ってもいなかった。だが、三年と言う月日は大きく影響を及ぼす。特に、心身ともに不安定な高校時代であればその影響の大きさは顕著である。

先生に勧めるまま、体育教師の道を歩み始めた彼女は、あのバトン部の顧問のような先生にだけはなるまいと心に誓った。

子どもたちに体育の面白さや体を動かすことの楽しさを伝えられる先生になりたい。そんな純粋な気持ちは彼女にあった。

その気持ちは決して枯れることはなかったが、教育実習生として母校に還り、先生から預かった教鞭を手にして学校指定の体操着を身に着けた女子生徒たちの前に立った瞬間、彼女の中にある何かのスイッチが入った。

それは、彼女の心の奥底……。いや、もっと下卑た言い方をすれば、彼女の下腹部の奥深くに仕組まれたスイッチ。

お揃いの体操シャツにお揃いの紺色のブルマーを身に着けて、シャツから伸びる腕をピッシリと身体の横につけて、ブルマーの裾から伸びる太ももをギュッと閉じて、直立不動の姿勢を保ち、恐れと不安の入り混じった瞳を自分に向ける女子生徒たち。

それは、数年前までの自分の姿と同じだった。高校時代の思い出とともに甦る高校時代の自分の姿と、今、目の前に居並ぶ女子生徒の姿とが一致した時、胸が高鳴り、下腹部がジンジンと痛み出した。

バトン部の顧問によって彼女の潜在意識に仕組まれたスイッチを彼女自身の記憶が押させたのだ。

教育実習が終わり、正式な体育教師として赴任してから更に数年。今、この春から入学する女子の新入生に対して脱衣の指示を出した女性体育教師は、決して癒される事の出来ない渇きの中にあった。


■ その11 ■

先生からの指示で真っ先に裸になったのは私たち三人組だった。

人前で裸になって先生から厳しく指導されてきた私たちにとって、人前で胸を出すことは特別な事ではなかった。私たち三人は卒業した中学校こそ違えど、胸を出してしごかれる女子生徒の姿が当たり前にある風景だった。

私が人前で胸を出すようになったのは小学6年生の時からだ。前にもお話したが、小学校の最後の一年は転校先の小学校で送ったのだ。

転校先の小学校は、朝、学校に登校すると下校するまでの間、ブルマー一枚で過ごすことが義務付けられていた。転校前の学校はハーフパンツだったので、ブルマーを穿くのは初めてだった。

ハーフパンツしか穿いた事のない私にとって、太ももやヒップラインが丸見えになるブルマーを穿く事ですら恥ずかしいというのに、さらに上半身裸にならないといけないのだ。

転校したての頃は恥ずかしくてジャージのズボンと体操シャツを脱げないでいた。先生も脱衣を強要することはなく、私だけジャージと体操シャツの着用を認めてくれていた。

私だけズボンとシャツを着て過ごせる。最初は私に対する配慮は先生の優しさだと受け止めていたが、だんだん時間が経つにつれてその思いは誤りだったことに気づいてきた。

周りは男子も女子もブルマー一枚で過ごしているのに、私一人だけがズボンとシャツを身に着けている。一人だけ特別扱いされている状況と言うのは幼心なりにこたえるものがあった。

周りの子たちは腰回りを覆う紺色のブルマーだけで、あとは肌の色をさらしているのに、私だけが白色の体操シャツに黒色の三本線の入ったクリーム色のジャージのズボンを穿いているのだ。

見た目の違いは心の距離を広げていく。皆と気持ちが一つになれない。そんな思いに駆られてきたのだ。

恥ずかしいからと言って、このまま私だけが服を着ていていいのだろうか?

周りの子たちは私に気を遣ってくれているけど、気を遣うというのはそれだけ私に対して親しみを感じていない証拠。私が本当の意味でクラスの仲間に入るには、思い切って服を脱がなければいけない。

でも、頭で分かっているけど恥ずかしい。恥ずかしいと思うのは前に通っていた小学校の感覚であって、今の小学校の感覚からすれば服を着ている方が逆に恥ずかしいのかもしれない……。

幼いながらにそんな事を逡巡していた私だったが、ジャージと体操シャツを脱ぐタイミングがなかなか掴めないでいた。

このままダラダラと一年間を無為に過ごして卒業していいはずがない。でも、いつ脱げばいいのだろう?

気ばかり焦って行動に移せない私に助け舟を出してくれたのはクラスの仲間達だった。

クラスメイト達も私の焦る気持ちを感じてくれていた。クラスの皆は先生と相談しあって私に脱衣の機会を考えてくれていたのだ。

クラスメイト達が考えてくれた計画が実行に移されたのは、5月も終わりごろに差し掛かった理科の時間だった。

その日は初夏を通り越して夏日の天気だった。理科の授業の次が体育の授業と言うこともあって、校庭の植物観察をしたあと、そのまま中休みを挟んで体育の授業を屋外で行うことになった。

理科の時間となり、校庭に出た私たちは班ごとに分かれて校庭の隅々を回って植物観察をして過ごした。

理科の授業の終わりごろ、私たちの班に先生が近づいてきて花壇の前に来るように声を掛けてきた。先生に言われるまま花壇の前に来ると、班の子たちで花壇の花に水を撒くことになった。

私は先生に言われるままジョウロに水を入れて花壇に水を撒いていると、班の男子たちがホースを持ってきてホースの先を私に向けたその瞬間、ホースの口から勢いよく水が放たれた。

ホースから勢いよく飛び出た水をまともに受けた私は全身びしょびしょになった。

「いきなり何をするのよ」

悪戯で水を掛けられた私は男子たちに怒ると、それを見ていた先生が男子たちを思い切り叱った。先生の怒りはすさまじく、怒られている男子たちが可愛そうに思えるぐらいだった。

ただ、これも先生と班の子たちの演技だったが、あの時の私は演技と言うことを知らず、班の女の子達に「怒られているのを見ているのも可哀想だからあっちに行こう」と誘われるままに校舎の物陰について行った。

人目につかない校舎の物陰に連れてこられた私は、「ビショビショだし、このままじゃ風邪をひくよ。ここだったら私たちしか見てないからズボンとシャツを脱ぎなって」と女の子たちに言われた。

びしょ濡れの私を気遣ってくれる女の子たちの気持ちを素直に受け止めたいと思った私は、周りに同性しかいない安心感もあり、言われるままにズボンとシャツを脱いで水をたっぷりと含んで水着のように濡れたブルマー一枚だけの格好になった。

私が水浸しのブルマーだけの半裸になると、「やっと、私たちと同じ格好になれたね」と、それを見ていた女の子たちは嬉しそうに拍手をしてくれた。

この時初めて私は罠にはめられたと気づいた。

いいえ、罠何て言葉が悪い。皆が私に裸になるきっかけを作ってくれたのだ。

汗ばむ初夏の空気を全身に感じる私。唯一の着衣であるブルマーは水浸しになって、お尻や股間にへばりついて穿き心地は最悪だけど悪い気はしなかった。

「頑張れる?」
「このままみんなの前に行ける?」

女の子たちは心配そうに尋ねてきたが、私の心は決まっていた。ベタな芝居だったけれど、私の為にここまでやってくれた皆の気持ちを裏切りたくなかった。

私は「大丈夫だよ」と大きく頷くと、膨らみかけたおっぱいを大きく見せるように胸を張ってクラスのみんなが待つ校庭へと歩みを進めた。

次の授業は体育だ。体育の時間、水浸しになったブルマーを初夏な日差しで乾かす様に元気いっぱいに運動場を走り回った。

私とブルマーのお付き合いはこうして始まったのだ。


■ その12 ■

脱衣の指示で真っ先に服を脱いだ私と純ちゃんとつかさちゃんに興味を示した先生は、私たちの小学校や中学校時代の事を根掘り葉掘り聞きだしながら採寸を取っていた。

三人のうち、最初の犠牲者が私で、先生に請われるまま小学校時代の話をした。

水を浴びせられて初めて人前で胸を出した私は、学校に来るとみんなと同じように上着を脱ぐようになった。初めのころは緊張していたが、その生活が一週間、二週間と続けていくうちに上着を脱ぐことに慣れていった。

慣れたと言っても恥ずかしさが無くなった訳ではない。恥ずかしさをギュッと胸の奥に仕舞い込めるようになっただけなのだ。

だから、ふとしたきっかけで胸の奥にしまい込んだはずの羞恥心がひょっこり顔を出して頬を顔を赤くすることもしばしばあった。

例えば、自分の胸やお尻や太ももに異性の視線を感じたときとか、自分やお友達の膨らみかけた胸やその下にあるおへそが見えたとき。

椅子に座ったときに、おへその下から下腹部辺りを覆っている紺色のブルマーの裾からニョッキと伸びる太ももを見たときなんかは、自分はブルマー一丁で過ごしているんだと思い、身体中がポカポカと温かくなった。

私たちは学校の先生から、「裸でいても服を着ているときと同じように自然に振舞え」と教えられていた。もし、少しでも恥ずかしがる素振りを見せたら、「色気づくな」とビンタされたものだ。

小学校を卒業するまでの間、何度かビンタを受けた。ビンタを受ける度に、「恥ずかしくないんだ」と何度も何度も自分自身に言い聞かせた。

そうやって恥ずかしさを押し殺していくのだが、先述したように、羞恥心を完全にコントロールすることは出来なかった。この羞恥心を別のエネルギーに変換させる術を身に着けたのは中学校に上がってバレー部に入ってからだ。

ここまで聞くと女子には過酷な環境に思えるけれど、男子にとってもかなり過酷な環境でもあった。

小学6年生ともなれば異性に興味を示しだす年頃だ。おっぱいを出した女の子が当たり前の風景となっている中で育った男の子たちは、女の子の裸に対してある程度の免疫はついていた。

免疫はついているとはいえ、私と同じでふとしたきっかけで異性の体に気を取られることがあった。

例えば、小学生離れした豊満な体型をした女の子が体育の授業で体を動かしている姿を見たときとか、プールの授業で水に濡れた女の子の裸を見た時なんかは男の子としての反応が現れてしまうのだ。

マラソンの授業で苦しそうな表情を浮かべて、たわわに実った胸を上下に揺らして一生懸命に走る太っちょな女の子。前へ前へと脚を出すたびに、太ももやお尻に付いたのお肉がプルプルと震えるのだ。

大きなお尻を窮屈そうにしまい込んだブルマーの布地がお尻の動きにあわせて皺を寄せるのを見ているうちに、段々と下腹部が熱くなってしまうのだ。

水泳の授業では水着に着替えるが、小学校時代の女子のスクール水着は一般的なワンピースタイプの水着ではなく、男子と同じブルマータイプの水泳パンツだった。

水に濡れた水泳パンツは肌に張り付いてお尻や股間に食い込んでしまう。水泳パンツがお尻や股間のワレメに食い込むと水泳パンツに皺が寄ってスジが浮く。

これでは水泳パンツを穿いているのに下半身を丸出しにしているのと変わりない。小麦色に日焼けした肌は水に濡れ、クレパスを刻んだ水泳パンツ一枚で授業を受ける女の子の姿に男の子たちは興奮を覚えるのだ。

男子達も女の子たちと同じブルマータイプの体操着やスクール水着を穿いているので下腹部に密着している。下腹部に密着しているから、男の子たちが興奮してしまうとブルマーや水泳パンツにテントを張ってしまうのだ。

ブルマーや水泳パンツにテントを張っているところを先生に見られると大変なことになる。「女子の裸を見て興奮するやつがいるか」とビンタされるのだ。

体育の授業があるたびに、何人もの男の子たちが先生からビンタされていた。

ビンタを受ける男の子たちを見ていると、半裸姿の私たちを見て興奮する男子たちが憎らしく思うけど、年頃を迎えた男の子だから私たち女の子の身体に興味を持ってもしかたない。

男の子として当然の反応を示しただけなのに、それを先生に咎められてビンタされるなんて可哀想だと男子たちへの同情心も掻き立てる。

「私たちの裸を見て興奮する男子なんて先生にビンタされて当然よ」と言う女の子もいれば、私のように男の子たちに同情する女の子もいた。

いずれにしても、小学校時代は男子も女子も過酷な環境であったことに違いないなかった。


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