回帰 > ラストチャンス p.01

■ 01 ■

(うわっ。うわぁわぁ……。結構ガッツリ撮るんだなぁ……)

中学1年生。子役として辛うじて活動している葵は、表情を変えないように気を付けながら、目の前の収録風景を見ていた。

(やっぱりテレビと違って、ネットは遠慮がないなぁ……)

彼女の目の前では、七人の少女たちが素っ裸にランドセルを背負ってリコーダーを吹いていた。『プティピクシー』という名のグループである。

地上波テレビでも少女たちのワレメが映されることは珍しくない。一時期は減ったものの、それはまた盛り返してきた印象すらある。少女のワレメは数字を持っている。どうやらそれは間違えなさそうなことであった。

とは言え、テレビで映し出されるワレメは、ほかの演者の陰で見え難くされていたり、字幕をかぶせたり、少女自身が手で隠すなどして、あからさまに映し出されるということは稀であった。もちろん、そうでない場合もあるが。

しかし、ネット番組の世界ではそうではなかった。カメラマンは少女たちの足元にしゃがみ込み、無遠慮にワレメをカメラにおさめる。編集することなく、それはそのまま流される。

リコーダーから手を離すことができない少女たちは、もちろんワレメを自らの手で隠すことも出来ない。カメラは露骨に少女たちのワレメを狙い続けた。


■ 02 ■

『PNT39』の台頭によってテレビ出演の機会がめっきり減ったプティピクシーは、活動の場をネットの世界へと移していた。

ネット独自の環境に加え、テレビ局がネット配信を重視し始めた時代。幸い、彼女たちの活躍の場が全く無くなるということはなかった。当人たちにとって「幸い」と言えるのかどうかは分からないが……。

また、テレビにおいて受ける一定の制限も、ネットではより緩やかであり、少女たちを食い物にしようとする大人たちにとっては好都合であった。

『ワレメでネット』というストレートな番組名もネットならではのもので、少女たちに無遠慮で節操のない番組内容をよく表していた。

番組のタイトルは80年代にリリースされ、化粧品のCMソングにも起用された某アイドル歌手のタイトルをもじったもので、エンディングではその歌詞を「ワレメ」に置き換えた替え歌をプティピクシーが歌うのが恒例となっていた。

また、そのタイトルの響きがどことなく既存の麻雀番組にも似ていることからも、昭和から平成初期を知るおじさん世代に受け入れられやすかったようで、若者が中心であったネット動画の世界に新たな風を巻き起こすきっかけとなった。

もちろんそれらは枝葉のことであり、その中心には少女たちのワレメがあったことは疑いようのない事実である。少女のワレメは世代を超えて、人を集める力を持っていた。


■ 03 ■

さて、プティピクシーの七人が素っ裸でリコーダーを吹いているのはなぜか。その訳は、『ワレメでネット』の中の『力を合わせてワレメを守れ! 連帯責任チャレンジ』というコーナーにあった。

このコーナーは、与えられた課題に七人全員で挑むという企画で、毎回、「宿題」という形で与えられた課題に、各人が事前に練習・準備をして本番の収録に臨んでいた。

今回は、あらかじめ七つの課題曲が決められ、各々がその七つの曲を練習し、本番ではそれぞれが七つのうちのどれかを演奏することになっていた。

そして、「連帯責任」「ワレメを守れ」のタイトルの通り、一人が一か所でも間違えたら、その時点で七人全員が一枚ずつ脱衣をしていくというルールだった。

このコーナーには台本があった。毎回、完璧にクリアになるということはなく、必ず下着姿になるところまでは打ち合わせがあった。いわゆるヤラセである。

しかし、それは全てではない。下着姿になったあとは、「ガチ」であった。この日も予定通り七人が下着姿になり、視聴者は色めきだった。

そして、最後の一人が曲の終盤で間違え、あえなく素っ裸になることが決定したのだった。


■ 04 ■

葵はその様子をスタジオの隅で見ていた。ランドセルに下着姿の七人の少女たちは、カメラの前に並ばされると、声を合わせて言った。

「せーのっ」

「「「チャレンジ失敗! 罰としてパンツを脱ぎます! みんなのワレメを見てくださいっ!」」」

カメラは下からのアングルで少女たちの姿をとらえる。少女たち自身の手によって、一斉にパンツが足首まで下ろされる。前屈みになった身体を起こすと、七本の無垢な縦筋がカメラの前に現れた。

これがテレビ番組であれば、一瞬カメラにおさまったところで、収録は終わったであろう。カットの声がかかって、すぐにでも服を着ることができたかもしれない。しかし、これはネット番組だった。

ワレメを晒した少女たちは、気を付けの姿勢を保ち、ジッと時間が過ぎるのを待っていた。


■ 05 ■

カメラは一人一人のワレメを舐めまわすように様々なアングルからとらえる。前が終わったら後ろへ。今度は可愛らしいお尻が画面に映し出される。

一人一人時間をかけて、身体の隅々までカメラにおさまっていた。少女たちにとって長い長い時間が終わると、最後に全員で課題曲の一つを演奏して、コーナーは終わった。

コーナーが終わっても少女たちに服を着ようとはしなかった。そういう決まりだからだ。彼女たちは番組終了まで「そのままの恰好」でいることになっていた。パンツ一枚ときはパンツ一枚で。素っ裸のときは素っ裸で。

しかし、番組スタッフも鬼ではない。少女たちにはそれぞれ一枚の手ぬぐいが与えられた。彼女たちはそれを腰に巻き、ワレメを隠す。

とは言え、たった一枚の手ぬぐいで完全に隠せるというものでもない。少女たちが歩くたびに、あるいは座ったり立ち上がったりするたびに、チラチラとワレメが見え隠れし、カメラはそれを見逃すことなくとらえていた。

これらは、いわゆるチラリズム的嗜好をもった一部の視聴者たちに特に好評だった。


■ 06 ■

「さて、今日は特別ゲストにお越しいただいておりまーす」

番組MCを務めるベテラン芸人・昇が言うと、葵にスポットライトが当たった。素っ裸の少女たちをとらえていたカメラが葵に向けられる。彼女は決意したように頷くと、昇の隣まで進んだ。

昇には、十数年前まで深夜のお色気番組で活躍していた過去があった。

彼は当時、寝起きドッキリと聞けばターゲットの歯ブラシを咥え、ショーツを頭から被り、スタジオに呼ばれれば出演するAV女優の胸を揉み、尻を鷲づかみにし、ハプニングと称してカメラの前でのポロリを誘った。

エロの為なら無茶苦茶やるのが彼の信条であったが、残念ながら地上波テレビでの出番はほぼ無くなっていた。そんな彼ではあったが、テレビと比べれば無法地帯ともいえるネットの世界では活躍できるのではないか、と待望論がささやかれていた。

そこに白羽の矢を立てたのが『ワレメでネット』であり、彼は予想通りの活躍を見せていた。あるときは少女たちを得意の話術でネチネチと言葉責めし、またあるときは実力行使で少女たちの可愛らしいお尻や膨らみかけた胸にタッチした。

一部の視聴者はこれらの行為を快く思っていなかったが、彼にいじられたときに見せる少女たちの恥かしそうな表情や羞恥に耐える仕草はおおむね好評だった。

何よりも、最終的には芸人らしく笑いをもって番組を進行する姿は、ともすれば少女たちをひん剥いて終わりになりかねない番組に無くてはならない存在になっていた。


■ 07 ■

さて、そのような下品ともいえるネット番組に、一応ギリギリ知名度があるといっても良い葵が出演することになった経緯を説明しよう。その前に、葵とは何者なのか。話は七年前にさかのぼる。

七年前、未曽有の自然災害に襲われ、先行きの見えない不安の中、どこか閉塞感の漂っていたこの国で、一つのドラマが放送された。

「ハートフル・ホームドラマ」と宣伝されたドラマは、様々な困難にあいながらも、それらを跳ねのけ、力強く生きていく大家族を描いた内容で、葵はその大家族の末っ子役として起用された。

刑事モノや医療モノが流行っていた時代にあって、ホームドラマ路線は当初不安視されていたが、始まってみれば高視聴率をたたき出していた。

その中にあって、当時まだ幼稚園の年長だった葵の可愛らしくも逞しい演技は、各方面から高く評価された。特に、毎週ドラマ終盤に見せる、葵と家族たちがセリフを掛け合うお風呂場でのシーンは、お茶の間を優しい空気に包んだ。

お風呂場でのそのシーンで、葵は素っ裸になっていたがワレメを見せてはいない。彼女のワレメは、ほかの出演者の陰や湯船、湯気やお湯によって巧妙に守られていた。

一方で、母親役の30代の女優の胸や、長女役の女子高生のお尻は大映しになっていた。


■ 08 ■

このドラマをきっかけに、葵は人気子役として認知され、多数のドラマや映画に起用されるようになる。さらに、葵の活躍は、「子役ブーム」のきっかけともなっていた。

下火になっていたホームドラマが復活し、小学校を舞台にした学園ドラマが量産された。子役ブームはドラマのみならず、バラエティー番組やCMにも及んだ。

大量の子役が生産され、そして消費されていった。ただでさえ入れ替わりの激しい子役界が空前のブームの中で無法化されていた。

ブームとは所詮ブームである。

子役であれば使われていた時代はあっという間に過ぎ、テレビに出るためには目立つことをしなければならなくなっていった。「子役ブーム」はいつしか「子役のワレメブーム」になっていた。

少女たちはカメラの前でワレメを晒し、少女の特権である無垢な縦筋を披露した。一部の超売れっ子人気子役を除けば、「脱がざる者、出るべからず」状態になってしまっていた。

子役ブームのきっけかになった葵も、その流れに逆らうことは出来なかった。


■ 09 ■

彼女は一度だけ、カメラの前で自らのワレメを晒したことがある。それはテレビドラマではなく映画だった。

彼女が小学3年生のときに出演した映画で、時間にすればほんの数秒、場面で言えばたった二シーンだけであったが、彼女の縦筋がスクリーンを占拠した。

試写会の大きなスクリーンでそのシーンを見たときはさすがに恥ずかしい思いをしたが、彼女はそれが作品の中で必要不可欠なものだと信じていたし、事実、監督からもそのような説明を受けていた。

当時小学3年生の彼女が、「必然性があれば脱ぎます」と言ったかどうかは定かではないが、そのシーンが話題になったことは確かだった。

当初、葵のワレメの件は隠されていた。しかし、その話は次第に広まっていった。話が広まるにつれ、動員が増えた。初動でランキングに載らなかった映画が、週を重ねるにつけランクアップしていったことは、葵のワレメと無関係ではなかっただろう。

関係者は、内容が良かったから徐々に評価されていったのだと胸を張るが、果たしてそうだろうか。

翌年発売された「Blu-ray & DVD」は上々の売り上げを果たし、特に「初回限定版」は数年経った今でも高値で取引されている。それは初回限定版に限り、例の葵のワレメのシーンのメイキング映像が収めれらているためだった。

作品のためには必要不可欠だった、という監督の説明を、葵は今はもう信じていない。


■ 10 ■

葵の想いとは裏腹に、彼女のワレメは神秘性を帯びていった。

その理由の一つは、テレビをつければ少女のワレメを見られる時代において、テレビではなく映画で、それもたった一度だけしか見せていないためであった。

もう一つの理由は、そのワレメの完成度にあった。透き通るような肌、傷一つない肌に刻まれた一筋の亀裂。程よく肉の付いた、プニプニとしてそうな肌質。左右バランスのとれた肉付きに、程よい深さの縦筋。

葵の透明無垢なそのワレメは、いつしか「千年に一度のワレメ」と言われるようになっていた。

子役ブームは、子役のワレメブームを経て、葵の手を離れていく。その流れはプティピクシーの登場で決定的なものとなり、さらには近年のアイドルブームと相まって、「アイドルのワレメブーム」に変わり、ついにはPNT39の台頭となった。

売れっ子子役としての葵の地位は、皮肉にも「千年に一度」と言われた時期を頂点に下降線をたどっていった。次から次へと現れる新人子役たち。より過激化していく自己アピール、自己プロデュース。


■ 11 ■

中学1年生となった葵に残された時間は少なくなっていた。というのも、葵が所属していた子役事務所は原則として小学生専門で、そこを過ぎた者は退所することになっていたからだ。

中学生1年生になった葵は、功労者としてこの原則から例外的に外され、子役事務所に籍を置いていたが、それの猶予は一年間だけと告げられていた。

葵と同年代の子役たちは、人気のある者は大手の芸能事務所に移籍し、俳優としての勉強を積み、数々のドラマ出演を果たしていた。また別の者は雑誌の専属モデルとして起用され、また別の者は歌手や声優としての道へ進んだ。

子役としての実績を持った葵は、しかし、それは過去のものであった。「元子役」を引き取りたいと声をかけてくれた芸能事務所は皆無で、いくつか受けたオーディションも好ましい結果ではなかった。

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