一人ぼっちの陸上部 > 外伝 24時間トレーニング そして…… p.03

■ 16 ■

「よし、中に入れ」

連れてこられた場所は職員室です。先生は太ももの首輪を取り外すと、椅子をすすめてくれました。同時に後ろ手に縛ったベルトも外してくれます。

(ふぅ……)

『椅子に座る』という、久しぶりに人間らしい行動をした気がします。私って何なんだろう……。

「ちょっと話がある」

「はい」

「大事な話だ」

「はい」

いつもと少し違う雰囲気を察し、先生の言葉を待ちました。

「実は、お前の練習を見られるのは、今日で最後になる」

「え?」

「明日からは、陸上部の顧問ではなくなる」

「は? えっと……ちょっと意味が……」

「いや、そのままの意味だ」

先生は真剣な表情です。嘘を言っているとか、私を騙そうとしているとか、そういうことでもなさそうです。そして、私は一つの可能性に気が付きました。

「あ!? もしかして、体罰とかセクハラだとかで問題になったとかですか? 辞めさせられるとかですか?」

「いや……」

「あ、あの……。私はそんな風には思っていません。そりゃあ、叩かれると痛いし、嫌だし……お尻出すのも恥ずかしいし、見せたくないところも見られちゃったりするし……。でも、それで頑張れるし、それで強くなってる気もしてるし……」

「うん」

「とにかく、私はどこかに訴えようとか、先生を辞めさせようとか、そんなことは全然考えていません」

「うん」

「先生の言うことなら、何でも聞けます。嫌なことでも、受け入れます。あ、いや、嫌なことはちょっとは拒否するかもしれませんけれど……できるだけ頑張ります。もうちょっと人間扱いして欲しいな、とは思いますけれど」

「うん」


■ 17 ■

「あの……なんなら、いま私に命令してみてください。例えば、『素っ裸になれ』って言われたら、すぐにでもなります」

「素っ裸になれ」

「え? いや……それは……あの……ものの例えというやつでして……」

「出来ないのに、出来るって言ったのか?」

「いえ。出来ますよ」

なんでこうなってしまうのだろうか。先生と話をしていると、なぜかいつの間にか追い込まれているような気がします。

(もう、どうにでもなれ!)

私は、着ているものを全部脱ぎました。

先生と出会った最初の頃は、お尻を出すのも恥ずかしかったけれど、もう何度も見られてしまった裸です。体操服は自分でも信じられないくらい汗臭くて、ブルマもパンツも汗で脱ぎにくかったけれど、恥ずかしそうにしたら負けです。

何に対する負けなのか、よく分かりませんが……。

私は、先生の前で素っ裸になりました。全部をさらけ出します。

先生は、私の変化に気づいてくれているだろうか。少し前から、お股に毛が生え始めたんだぞ! ほんの少しだけれど。胸だって膨らみ始めたんだぞ! ほんの少しだけれど。

「ふーん」

「なんですか『ふーん』って。なにか感想はないのですか? 先生が脱げっておっしゃったんですよ?」

「お前が、脱ぎたいって言ったんだろう」

「言ってません! あれ……言ったかな……いや、脱ぎたいとは言ってません」

なんだか悔しくなってきました。


■ 18 ■

「あのですね、先生。この際ですからお聞きしたいのですが」

「どの際?」

「いや、ですからですね。今ここに、素っ裸の女の子が立っているんです。花も恥じらう女子中学生ですよ。先生は男としてなにも思いませんか?」

「男として!? なにも思わないかだって!?」

「はい。私の身体を見て、なにも思いませんか?」

「まだまだ鍛える必要があるなと……」

「それは、陸上部顧問としてですよね? そうではなく、『男として』とうかがっています」

「いや、特には思うことはない。何を期待しているのか知らないが……」

「なにも期待はしていません。ただ、ちょっとその……」

私は何を言っているのだろう。どんな話をしようとしているのだろう。どうしてこうなったのか……。

「仕方のないやつだな。ほれ」

先生はそう言うと立ち上がって、私の右手をつかみました。そして、その手を……。

「ほれ。お前も中学生なら、女の裸を前にして『何か』を思ったとき、男の『ココ』がどうなるかくらい分かるだろう?」

言いながら先生は、私の手を先生の『モノ』にこすり付けました。

「ほれ。どうだ? どうにかなってるか?」

よく分からないけれど、男の人の『ココ』が固くなるのだということは知っています。いまの先生の『モノ』がそうなっているとは思えません。

「……なっていない……と思います」

「お前みたいなもんの裸を見たってなにも思わん。ほら、風邪ひくぞ。とっとと服を着なさい」

(うぅぅ……)

何故だか非常に悔しいです。服を脱げと言われて脱いだら、服を着ろと言われ。それも私が自分から脱いだみたいに言われ……。私だって、恥ずかしいのを我慢して脱いだっていうのに。いったい自分は何をしたいのだろうか。

それに……。

先生が私の裸を見ても『変な気持ち』になっていないということは分かったけれど、はたしてそれは、安心していいことなのだろうか。喜んでいいことなのだろうか。

先生にとって私の裸なんて価値がない。先生にとって私の存在なんて意味がない。そんな風に思われているようで……。ちょっと悔しいのです。


■ 19 ■

「話を戻すけど……」

「あ、はい。なんか……すみません」

なぜ裸を見られて謝らなければならないのか、釈然としない気持ちを抱きつつも、すみませんと言ってしまいます。

「お前の練習を見られなくなるのは、俺が別の学校にうつるからだ」

「は?」

「異動だな。単なる異動。年度の切り替えで先生たちが入れ替わったりするだろう。その対象になっただけ。俺も組織の一員だからな。上から言われたら従うまで。俺に決定権なんてないさ」

「あぁ。異動……ですか」

「そう。異動。だから別に、処分されたわけでもなんでもないぞ。なんかさっき体罰だとかセクハラだとか早とちりしていたようだけれど」

「早とちり……ですか」

「早とちりで素っ裸になったわけだな。仕方のないやつだな。がはははは」

「……仕方のないやつです……本当に。はぁ……」

汗臭い体操服と汚れたブルマを再び着ると、時刻は11時過ぎ。あと少しでお昼です。『24時間』が終わろうとしています。

「あの……陸上部はどうなってしまうのでしょうか?」

「そう。それが問題だ。もともと部員一人では部としての活動は出来ない。俺が責任を持つという前提で始まったこと」

「ってことは……」

「その前提が崩れてしまう以上、無くなっても仕方がない。最後まで面倒が見られなくなってしまったことは、申し訳ないと思ってる」

「いえ。先生のせいではありません」

「まぁ、なんだ。別に陸上部が無くなると決まったわけではないぞ」

「でも、先生は異動になるんですよね?」

「それは、決定だ。そうではなくて、『部員一人』が解消できればいい訳だ。そうすれば、新しい顧問がつくだろう。友達なんかに声を掛けてみたらどうだ? 俺が顧問じゃあやりたがらなかったやつも、いなくなるならって思うやつもいるだろう。

あとは、4月からだな。新1年生を頑張って勧誘する。部員を集める。お前が先輩だ。あとは全員後輩。俺もいない。お前がやりたいようにやればいい」

「………………」

「さて、最後の走りを見せてもらおうか。グラウンドに出るぞ」


■ 20 ■

「まずは、トラック10周だ。気合い入れていけよ」

「はいっ!」

大回り10周に比べれば、トラック10周なんてあっという間。『あっという間』の間に、様々な思いが蘇ります。

初めて先生に会ったとき、初めブルマを穿いたとき、初めてお尻を叩かれたとき、初めて裸になったとき。夏の暑い日の練習、冬の寒い日の練習。二人だけの合宿、二人っきりの練習。

「よーし。最後はタイムランだ。時間内に戻ってこられたらおしまい。気合い入れていけよ。クリアできるまで終わらせないぞ!」

「はいっ!」

一周目。あと数秒でクリアならず。私はお尻に気合いを入れてもらって再走です。

二周目。またもクリアならず。先生の鞭がお尻に突き刺さります。

三周目。どんどん時間が伸びてしまいます。

「ほら、いつまでたっても終わらないぞ! しっかり走れ!」

「はいっ!」

四つん這いになって、突き上げた私のお尻に先生の鞭が飛んできます。

バシッ!

(うぅぅ……。痛い……痛いけど……)

四周目に向かう私。もう体はクタクタ。足はガクガク。でも、もう少し走れるかも。頑張ればクリアできるかも。

でも……。クリアしたら……練習はおしまい。先生との練習は……おしまい。これで最後……。

ちょっとだけスピードを緩める。必死に走った振りをしてゴール。クリアならず。先生の鞭がお尻に。もう一周。

五周目……六周目……。終わりたいけど、終わりたくない。終わりにしたくない、この時間。


■ 21 ■

――――新学期

先生はいなくなった。結局あの日が最後で、もう顔を見ることもなかった。

陸上部には、五人の新1年生が入った。新しい顧問の先生は、陸上の専門という訳でもなくたまにしか顔を見せない。部の練習は私に任されている。私の知っている練習方法は先生から受けたものしかない。

あの日、私は最後のわがままを言った。

「その鞭、私にくれませんか?」

一年間私のお尻をいじめた鞭は、部室の壁に飾ってある。五人の新入部員には、『伝統の鞭』だと言っている。悪いことをしたり、先輩の言うことを素直に聞けないときには、この鞭でお尻を躾けるのだと言い聞かせている。

『私も何度かお尻を叩かれた。本当に痛いぞ』と言っている。何度かどころか、毎日だったんだけれど。

それに、伝統なんかでもなんでもなく、私は私の一年間しか知らない。でも、新入部員には効いているようだ。まだこの鞭でお尻を叩いたことはないけれど、手に持って素振りをするだけで、言うことを聞いてくれる。

(『伝統』の始まりって、こんな感じなのかな)

この先、鞭を振るうことがあるのだろうか。できれば無い方がいいかな。でも、心を鬼にしなければいけないときもあるのかも。それが、後輩のためなのならば。

先生もそんな風に思っていたのだろうか。私のために、心を鬼にして鞭を振り下ろしていたのだろうか。それとも、ただの鬼だったのだろうか。

そうだ……。後輩たちのお尻は私が躾ければいい。じゃあ、私のお尻は誰が躾けてくれるのだろうか。

私が怠けたら? 私が失敗したら? 私が悪いことをしたら、誰が私のお尻に鞭を入れてくれるの?


■ 22 ■

思いたって、電車に乗った。

先生がいる街。先生がいる学校。フェンス越しに、先生の姿を探す。

見つからない。

目を凝らして、隅から隅まで見渡すと、やっと発見。

見つからない訳だ。

私は、ブルマの部員を探していたのだ。私がそうだったから。私は、鞭を探していたのだ。それが私の知っている先生の姿だから。鞭を振るって、厳しい視線で怒鳴っている、そんな先生を探していたのだ。

でも、私が見つけた先生はそうではなかった。

鞭なんて持っていない。怒鳴ってもいない。部員もブルマじゃあない。ハーフパンツだ。笑顔で指導しながら部員たちを見守っている。

そう、見守っている。あの姿は命令とか指導というよりは、アドバイスと言った方が近いのかな。

私の前では見せなかった先生が、そこにはいました。

私との一年間は何だったのだろう。先生にとって私は何だったのだろう。そして、私にとって先生は何だったのだろう。

先生の視線がこちらを向いた……気がしました。

私は思わず、目を背けます。建物の影に隠れて、ふぅとため息。

バッグに入れてきた鞭をギュッと握りしめていました。

【外伝 24時間トレーニング そして…… ・ 終】

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