誠清女子学苑 > 下っ端部員の歓迎会 p.01

- バレーボール部員名簿 -

3年:

- 畠中 友里(レフト・部長)
- 会田 愛菜(センター・副部長)
- 澤口 真妃(センター)
……
- 村木 美子(リベロ)
- 進谷 美佳(補欠)
- 三澤 愛子(補欠)
……
2年:

- 奥垣 彩(補欠)
- 伊東 遥香(補欠)
……
- 谷口 ゆいな
- 谷口 ゆうな
- 志田 彩
……
1年:

- 谷藤 由希
- 茎名 美咲
- 須藤 栞
- 廣井 瑛
- 崎本 あゆみ
- 満田 加奈子
- 安田 可乃
- 丸山 沙織里
- 岡中 美紗子
- 綿貫 玲
- 土屋 明理
- 遠藤 結花

■ 表向きの学校紹介 ■

――――私立 誠清女子学苑・中等部

東京都、といっても東京都の外れ、郊外の一角に構える全寮制の女子中学校。その敷地面積は広大で、校舎、寮、体育館、グラウンドなど全ての施設を備える。

校舎は、自由な校風を表すかのように吹き抜けの構造になっており、教室間に壁はない。クラス毎に決まった教室はなく、授業によって生徒たちが移動するスタイルだ。教室のタイプも、黒板、ホワイトボード、電子黒板、長机、円卓、……。先生たちは授業の目的で使い分ける。

その校舎と渡り廊下でつながっている寮は、基本的には三人部屋で、3年生・2年生・1年生のワンセットになっている。自習室や図書館、食堂、お風呂。生活に不自由はない。

集団生活なので一応の規則はあるが、厳しいものではない。一部の寮制学校では、上下関係が厳しすぎたり、雑務は1年生の役目になっているところもあるようだが、ここでは違う。 各部屋の掃除は、その部屋のもの同士が協力して行う。やればきれいになるし、やらなければ自分たちの部屋が汚くなる。それだけのことだ。

共用スペースの掃除は、当番制だが、前述の通り1年生だけの仕事ではない。全校生徒での持ち回りだ。全校生徒となれば、何百人といるわけで、一度当番になれば、あとは何ヶ月も回ってこない。

しかし、その当番は、生徒たちの間では、どうやらそれほど嫌な役回りではないようだ。さすがに、トイレ掃除は敬遠するものもいるが、お風呂掃除なんかは、一種のイベントのようになっていて、回ってくるのを楽しみにしているものもいるらしい。

体育館やグラウンドも、文化祭や体育祭、イベントを行うには充分な広さだ。


グラウンドを挟んだ南側と北側に二つの目に付く建物がある。通称【部活棟】と呼ばれる二つの建物。

学苑創立当初、いくつかの部活が同時に創部された。創部当初、顧問・部員ともに充分なレベルではなく、対外試合に出場してもどの部も初戦敗退だった。

そこで、当時の学苑長は、のちに【部活棟】と呼ばれるようになる二つの建物を建てた。設備を整え、監督を招聘し、部活環境を充実させた。

当初は、いろいろな部活が、譲り合いながら部活棟を活用していたが、次第に結果が出始めた部とそうでない部とが分かれてきた。学苑長は、効率よく対外にアピールするため、成績の出始めた部に優先的に施設を割り当てるようになった。

バレーボール部がその一つだ。実績のある監督の招聘が成功したのか、年度によっては地区予選を突破し、全国大会に出場できるレベルになってきていた。

バレーボール部には二つある部活棟の北側(北棟)が与えられた。以来、北棟を使っているのは一貫してバレーボール部だ。その時々で、実績のある部にあてがわれるので、一つの部が一貫して使い続けているのは、まさに伝統と呼ぶにふさわしかった。

一方南棟は、入れ替わりが激しい。現在は卓球部と新体操部が合同で使っているが、二年前まではバスケットボール部が使用していた。しかし、二年前、バスケットボール部は地区予選敗退、全国大会出場を逃した。それを機に、バスケットボール部は部活棟を追いやられ、代わりに力をつけ始めていた卓球部と新体操部が合同使用という形になった。

部活棟が使えなくなっても、廃部になるわけではない。体育館もあれば、グラウンドもある。他の部との共同使用なので、多少の制約は出てくるが、他校の部活環境と比べれば、まあ普通の環境になっただけのことである。


このように、ソフト面でもハード面でも充実した環境であることからか、毎月行われている中学受験生向けの学校説明会はいつも満席状態だ。小学生やその親御さんは、校舎や寮を見学し、授業カリキュラムや寮生活を体感する。

毎回、参加者からの質問が多いのは寮についてだ。一般的なことではないので、当然かもしれない。

事前の申請があれば、土日に関しては、自由に帰宅できる。土曜日は、強制ではないが補習があったり、部活があったりするが、日曜日は休みのことも多い。

入学当初は、なかなか馴染めずに、毎週末のように帰宅する生徒がいることも事実だ。また、いかにもお嬢様育ちの生徒の親御さんが自家用車で学校の前まで迎えに来ることもある。

ただそれも、初めの一ヶ月だけ。そのうち慣れてくれば、寮生活なんてなんでもなくなる。友だちや気の合う先輩が出来れば、わざわざ何時間もかけて、車や電車で自宅に帰るより、寮でみんなと一日中おしゃべりをしていた方が楽しい、そう思うようになる。そんな年頃なのだ。

部活動も関心の一つだ。すべてとはいかないまでも、いくつかの部では目の引く成績をおさめている。その上、部活棟と呼ばれる、専用練習場まで完備しているのだ。心が踊らないわけがない。

部活棟の見学を希望する参加者もいるが、生徒たちが練習に集中できなくなるから、とお断りしている。

そんなわけで、少子化の中、全寮制の中学としては、毎年受験希望者を一定の水準に保っている。


■ 語られない部活動の実態 ■

それでは、学校説明会でもほとんど明かされていない、部活棟を紹介していこう。

バレーボール部が使用している北棟は、外観は三階建て程に見えるが、実は二階建てである。一階が体育館になっていて、その分のスペースがあるためだ。体育館は、バレーコートが二面分取れる広さで、学校の体育館としては、標準的な大きさであろう。しかし、ここを使うのはバレーボール部員だけなので、恵まれた環境といえよう。

二階は、バレーボール部員専用の寮となっている。新入生には、一旦通常の寮があてがわれるが、入部が決まると、その部屋を明け渡し、部員専用寮に移動する。二階部分は、真ん中に狭い廊下がつきぬけていて、その北側と南側にいくつかの部屋がある。

南側は、14部屋の個室が並んでいる。それぞれの部屋は一般生徒が使う寮よりは、やや手狭ではあるが、寝て起きる場所としては充分である。

14部屋のうち、10部屋は3年生用だ。12名いる3年生のうち、レギュラー候補の八名が一人一室使う。残りの四名が、二人ずつに分かれ相部屋となる。年度の初めに、監督からレギュラー候補の発表があり、それに従うのだ。もちろん試合や練習の状況で入れ替えがある。候補から外れた補欠組は、一人部屋を目指して頑張るのだ。

残りの四部屋の個室が2年生用だ。12名の2年生は、三人ずつに分かれる。一般寮よりは狭いが、一般寮と同じ三人ずつで、しかも同学年の仲間同士という意味では、悪くない環境といえる。

さて、1年生はといえば、北側だ。北側には、部員専用のお風呂とトイレがあり、その隣に【1年部屋】と呼ばれる大部屋がある。12名の1年生はこの【1年部屋】で一年間を過ごす。

元々この【1年部屋】は部活棟の部室として使われていたが、そもそも部活道具は一階の体育館の用具室に入れればよいし、着替えだって、すぐ下が体育館なのだから、各自が各部屋で行えばよい。

そんなわけで、部室としてはだんだん使われなくなり、物置、多目的室、ミーティングルームなどと名称が変わり、部員増加に伴って、その部屋が1年生用の大部屋となったのを機に【1年部屋】というまったくひねりのない名称に落ち着いた。

この【1年部屋】は、ちょうどミーティングルールと呼ばれていた時代に、開放的に作り変えられ、廊下側がガラス張りになっていた。したがって、1年生は、一切プライバシーなどのない生活をすることになる。

あとは屋上へ上る階段があるだけだ。屋上への出入口は施錠されているため、生徒たちが屋上に出ることは基本的にはない。


――――某月某日・北棟 体育館

「練習中失礼します! 1年、谷藤由希、腕立て中に胸をついてしまいました! ご指導お願いしますっ!」

またやってしまった。もう何回目だろうか。今日もまた先輩たちにお尻を突き出すポーズを取っている。悔しさをこらえ、大声を張り上げて、頭を下げてお尻を突き出す。

<だれか、私のお尻を叩いてください……>

完全に騙された。小学6年生の8月、親に連れられ、この学校の説明会に参加した。ここには、憧れの世界が待っていると思ったのだ。

塾の偏差値では、やや厳しい判定が出ていたが、私は必死で追い込みをかけ、ぎりぎりではあったと思うが、どうにか第一志望校であるこの学校に入学できた。

初めの一週間は天国だった。同部屋の先輩たちは優しかったし、授業も楽しい、友だちもすぐに出来た。思い描いていた通りの生活がここにはあった。

どの部活に入るのか決めかねていた私は、いろいろな部に仮入部し、真剣に悩んだ。くるいだしたのは、一週間がたち、仮入部期間が終わり、正式にバレー部に入部届けを出したときだ。

もちろんバレー部にも仮入部はした。3年の先輩方が必死にボールを追いかける姿は格好よかったし、2年生の先輩方が地味だけど、一生懸命、基礎練に励んでいる姿も心に残った。

監督は少し怖かったけど、中学バレー界ではそこそこ有名だったし、去年の全国大会のテレビ中継でも映っていた。監督の指導を受けて、全国大会に出場した当時の選手たちを羨ましいと思った。

その中継に、チラッと映っていたコーチは、実物の方が、何倍も爽やかで格好よかった。バレーには関係ないかもしれないけど、入部の決め手になる一つではあった。

小学校のとき少しだけやっていたバレーに真剣に取り組むことにした。

バレー部は人数制限があって、12名までだという。定員を超えていた場合は、監督・コーチが面接や試験をして選抜するらしい。受験勉強から解放されて、また入部のための試験があるのかと、一瞬躊躇したが、私は入部試験を受けることにした。

試験では、バレーの技術的なことは一切問われていないようだった。中学受験では、入試科目に体育を課しているところがあると塾の先生が言っていたのを思い出した。そこでは、集団の中での積極性や、集団行動などの協調性をみているらしい。

入部試験も同じような趣旨だったのだろう。面接では、教官室に一人ずつ入って、監督・コーチ二人と話をした。これは、かなり緊張した。私は頑張って、部活に入りたいことをアピールした。

なんとか、試験に合格した私は、監督に入部届けを提出した。

それが、悪夢の始まりだということも知らずに……。

inserted by FC2 system